平成2467

猫の集会

皆さんは,「猫の集会」というのを見たことがありますか?

猫達は,毎日決まった時間に決まった場所に集まり,集会を開くとか.10数年前,その様子をテレビの番組で見たことがあります.

その番組は,ある飼い猫が深夜,自宅を出るところから始まります.猫は道すがら,いつもの爪研ぎ場で爪を研いだり,おしっこをしたり,砂遊びをしたりしながら,神社の境内に到着しました.そこには,既に数匹の猫がそこここにたたずんでいます.しばらくすると1匹,また1匹と猫の数は増え,見る間に10数匹の猫が集まりました.それぞれの猫は,決まった席に着くようにして座り,他の猫をちらりちらりと見たりして時間を過ごします.特に鳴き交わすでもなく,じゃれ合うでもなく,お互いに無事を確認するかのようにしばらくそこで時間を過ごし,やがて猫たちは満足げに1匹,また1匹と集会所を後にしました.時期が時期なら,集会の後にどこかで逢い引きという猫もいる ことでしょう.ひょっとしたら,それが元で争い事があるかもしれません.でもたいていの猫は,元来た道を引き返し,静かに家路をたどります.番組はここで 終わるのですが,群れを作らないはずの猫たちが,毎夜狭い境内に10数匹も集まり,少し距離を保ちながらそれぞれの格好で静かにくつろいでいるのは,何とも不思議な光景でした.

猫たちは何の目的で集会 を開くのでしょうか.小さいときに母猫から引き離され,人の家族と過ごすようになった飼い猫は,自分が猫なのか人間なのか,周りの人が自分の仲間なのか何 なのかわからないまま成長していくことでしょう.しかし,赤ちゃんの頃から人に飼われている猫であっても,成長するにつれて自分と飼い親家族の間に何らか の違和感を覚えはじめるのではないでしょうか.そして,外の猫との接触が増えるにつれて,自然に周囲の猫との間に仲間意識が芽生えるのではないかと思いま す.いつもはつんとしていて,他の猫には興味がなさそうに見えていても,猫には猫の社会があるのでしょう.それに,繁殖のためには,猫同士の接触は不可欠 ですしね.

こにたんが愛媛弱問研の定例会に出席し始めたのは10年ほど前のことになります.最初に会に出席したとき感じたのは,「ずいぶんまじめな会だな」,そして「こういう集会,どこかで見たよう な気がする.」というものでした.それがどこだったか,どういう集会だったか,しばらくはわかりませんでしたが,何度か回を重ねるうちに,それがテレビで 見た「猫の集会」であることに気がつきました.

こにたんが網膜色素変性 症であることはプロフィールに書いているとおりですが,この病気,数十年とかなり永い時間をかけて晴眼者から弱視,あるいは全盲ないしほぼ全盲へと進行し ます.その過程で,以前にできていたことが徐々にできなくなります.それとともに晴眼者の中での生活に違和感を覚え始めます.そして,住む世界がだんだん と周りからずれてきて,それまでの環境に居心地の悪さを感じるようになります.やがて,いろいろなトラブルが起き,人生に疲れてきます.この病気のそのよ うな標準的な経過をたどるうち,

「どこかにお仲間いないかな・・・」

そんなつぶやきが,心の中から聞こえてきました.そう思い始めると,行動が素早いのがこにたんです.ネットで調べると,日本網膜色素変性症協会(JRPS)と弱問研が見つかりました.早速それら2つの団体に入会し,現在に至った次第です.

JRPSのことは後日記事にするとして,弱問研のことに戻ります.弱問研のメンバーは,それぞれ に目の状態や境遇は違っていても,弱視で苦労していること,何とかしてそれに打ち勝とうと努力していることはみんな同じでした.そこでは,弱音も許されま した.そんな弱問研の会合に何度か通って、他の人の話を聞いているうちに,みんな大変なんだ,一人じゃないんだと思うようになりました.晴眼者の中で一人 生きてきて,固くからまったこにたんの心の紐が,少しずつ緩んできました.やがてそこは,こにたんにとってちょっとした秘密の隠れ家となりました.目は治 らなくても,そこには暖かい言葉があり,共感の中でいやされていく自分がいました.共感でみんなを包み込もうとする自分がおり,失敗も笑いに変えていまし た.重い荷物は軽くなり,暗い気持ちも明るくなりました.人に助けられることの多かった自分が,少しは人の助けになれることにも気付きました.

そんなこんなで,爾来,猫の集会よろしく,機会を見つけては定例会に参加し,会員の無事を喜ぶこにたんであります.

もし弱問研に興味を持たれ,でも二の足を踏んでおられる方がおられましたら,ぜひお気軽に猫の集会・・・,いや愛媛弱問研の定例会にお越し下さい.みんなで,お待ちしております.

 

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