平成24718

奇跡を起こした人

 

今回のタイトル,誰がテーマだか,前回のコラムを読まれた方はすぐにわかりますよね.

ピン♪ポーーン♪♪

そうです.ヘレン・ケラーを教育し,生涯をかけて彼女を支えた,サリバン先生のことです.要するに前回の続きです.サリバン先生の偉大さは,短いコラムでは到底語り尽くせないものがありますが,今回はケラーとサリバン先生の関係が垣間見られるエピソードを拾ってみました.

 

あのヘレン・ケラーほどの知性の持ち主でも,ちゃんと教育されなければ あんなふうになるんだ・・・.前回のコラムで触れた映画「奇跡の人」は,我々にそのようなことを教えてくれました.サリバン先生は,我が物顔に振る舞うケ ラーを,一時的に両親から引き離します.そしてケラーを深い愛情で包みながら,一方で良くないことは良くないとして断固とした態度を貫きます.それに野獣 のごとく反抗するケラー.役者の名前は知らないけど,その迫真の演技はなかなかのものでした.

やがてケラーは,サリバン先生が手のひらに綴ってくれる指文字で,もの には名前があることを知ります.そして,動詞や形容詞,さらには抽象概念までも理解するようになり,劇的に言葉の数を増していきます.それに反比例するか のように,ケラーの性格は穏やかになり明るくなっていきます.そして大変な努力を重ねた末、ケラーはラドクリフ女子大学(現ハーバード大学)を卒業します.1904年のことです.

助成が高等教育を受けることに,あまり前向きでなかった時代.そんな時 代に,三重苦を抱えた助成が,超難関の大学を優秀な成績で卒業したのです.しかも,講義はサリバン先生が手のひらに書いてくれる指文字だけが頼りです.ケ ラーさん,並の根性ではありません.サリバン先生がてなずけてくれたとはいえ,ケラーの心の中には映画で見せた野獣の闘志が健在だったのかもしれません. それにしても,サリバン先生,すごい.講義の内容を超高速でケラーの手のひらに書いていったのでしょうね.想像しただけで疲れてしまいます.

 

さて,時は過ぎ,1915年の暮れのことです.当時,ヘレン・ケラーは婦人参政権運動に身を投じ,講演旅行に忙しい毎日でした.また,人前で話ができるように と,発音の練習にも取り組んでいました.そんな中,数年前から病気がちだった,サリバン先生の体調が,いよいよ思わしくなくなりました.病院を訪れたとこ ろ肋膜炎かあるいは結核かもしれないとの診断.当時は結核と言えば不治の病ですから,さあ大変.医者の勧めもあり,先生は,少し前から二人を手伝うように なっていたポリー・トムソンとともに,南の島へ静養に出かけることになります.

サリバン先生がケラーのもとに家庭教師に来てから約30年,文字通り浸食をともにする生活で,ケラーは一度も先生と離れたこと はありません.先生の病気は心配ですが,ケラーにとっては先生なしの生活は考えられませんでした.ケラーは,そのような不安な気持ちを手紙にしたため,毎 日のように先生の療養先に送ります.しかし,ポリーから時々届く先生の様子は,あまりはかばかしいものではありません.ケラーの心配はつのるばかりです. そしてついに,次のような手紙を先生宛に送ります.

「私は先生にはっきりとお尋ねしておきたいことがあります.もし突然万一のことが先生に起った場合,私は仕事のことで誰に頼ればよいのでしょうか? どうすれば私は不正直な,信用のできない人を警戒することができるでしょうか? 母は深い無言の愛をもって,私を愛してくれます.けれど母がいつも私と一緒にいてくれることは,むずかしいと思います.それからもう一つ.もし先生が私から奪われるか,私の仕事を見て頂くことができないようになった場合,私たちの書きものはどうすればよいのでしょうか? 私は誰を信じてよいのでしょうか? こんな事をお尋ねすることは本當にいやなことです.でも,私は自分ひとりでは何事もできないことをよく知っております.(後略)

ケラーは,こういう手紙をタイプライターで書いています.でも,見えな い人が,よくもまあ長文の手紙を普通のタイプライターで書けるものですね.間違えたら最初からやり直しなんですよ.ワープロじゃないんだから.さて,不幸 は重なるものです.この手紙の直後,ケラーの家が火事に見舞われました.

「恐ろしいことが起りました.でも有難いことに,誰もみな無事でした.ですからこの手紙をお讀みになっても,驚かないで下さい.月曜日の夜, 私の部屋から火事が起ったのです.幸い私はまだ眠っていませんでした.最初変なにおいに気がつきました.でも,それは炊事場吸パイプの蒸汽のにおいにそっ くりだったので,私は一向氣にかけませんでした.しばらくすると,窓から吹き込んでくる煙のような軽いにおいがしてきました.今まで,自分の家でも,よそ の家でも,こんな事は度々あったので,私はそれも気にかけなかったのです.ところが,私は不意にタールと燃える材木の臭気をかいだのです.私はとび起きて 窓をあけて,母の部屋に駈けつけました.母は私の部屋から焔が6フィートも燃えあがっているのを見て,救いを呼びました.ミルドレッドが消防署に電話をか けると,彼等は信じられないくらい早く来てくれました.彼らが床を破砕する響きを私は感じました.(中略)消防夫たちは本当に危ないところで間に合ったのだそうで,もう5分か10分遅かったら,家は丸焼 けになっていたのだそうです.私は自分が眼が見えないために,私の愛する人達を危なく死なせるところであった事を考えると悲しくなりました.これからは毎 晩寝る前に,床に鼻をくっつけて,部屋中のにおいと,隠れた火花とを嗅ぎわけた上でなければ,二度と安心して眠られぬ気がします.先生,貴女はいつアメリ カへお戻りになるのですか? (後略)

このときケラーは36歳.偉大な功績を残したケラーにしては,かわいらしい文面です.よほど心細かったのでしょうね.この手紙に,サリバン先生から返事が届きました.

「ヘレン,私はあなたのために全快したいと思います.あなたにはまだ私が必要なのです.あなたの手紙を見れば見るほど,しみじみとそう感じます.今度こうして離れて生活したことは,私たち二人にいろいろなことを教えてくれたとは思いませんか? あなたは何といふ恐ろしい目にあったのでしょう! 火事は家の人たちに,大変な打撃であったに相違ありません.可愛想な子! まっ暗なところで,恐ろしい音を感じながら,何が起ろうとしているか知らないでじっとしていることは,何という恐ろしい事でしょう.(後略)

サリバン先生は,この手紙を投函後すぐ,帰国の船便を手配しました.先生がヘレンの元に戻ったのは,1917年の春のことでした.先生の病気は,帰国後しばらくはすぐれませんでしたが,夏を越した頃にはすっかりよくなりました.かつて先生を診察した病院へおもむくと,医者は,前の診断は検査結果を誰か別のものと取り違えたのだろう,と言ったとか言わなかったとか.

このときサリバン先生の病気は,それぐらい完全によくなっていたのです.

 

弟子のことを案じ,不治の病をも克服してしまうとは,サリバン先生恐るべし.

奇跡を起こした人の「愛」の成せる技でせうか?

血は繋がっておらずとも,これぞ「母の愛」なり,と思うこにたんでした.

 

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