みなさん、初めまして。

わたしは愛媛弱問研の幹事です。
このコーナーの執筆者である〝こにたん〟から、こんなメールを頂きました。
あくまでも、わたし個人に宛てて書かれたものですが、コラムとして皆さんにも読んで頂きたいと思い、〝こにたん〟に了解を頂き、下記に貼り付けました。

なお、これは、障害者差別禁止法のパブリックコメント募集中であることを〝こにたん〟にお知らせしたメールへの返信です。

 

ここから、

(略)

この忙しい時に限って、息子がトラブルを持ってくるし・・・先日は息子の先生が家までやってきて、親子共々しかられました。
友達に暴言を吐いたとか。
ショックです。
息子が暴言を吐いたことよりも、私が先生からしかられたことがです。ヘヘ。
もう何十年も、誰からも(前の妻以外に)しかられたことなかったのにい。
しかし、私は悪くありません・・・とは先生を前に言えないしね。
我々の中学時代には、友達を口汚くののしったり、とっくみあいのけんかをするのは当たり前のことでしたが、時代は変わりました。
しかし成長の過程ではそういうことも必要だと思うのは私だけでしょうかね。

ところで、障害者差別禁止法の件ですけど、パブコメに書き込むほどの意見は持ってはいませんが、障害者を子供扱いするのはやめてほしいものです。
差別というのは、他者を低く見ることで、自分を相対的に高めようとする心のあり方から来ており、あの子供扱いする行動には差別意識が潜んでいるのです。
先日、社宅の隅にあるゴミ捨て場にゴミを捨ててから、帰りの方角を誤りその辺りをうろうろしていたら、社宅の奥さんが声を掛けてくれました。
「大丈夫?最初の階段だったよね。」
私は53歳。いい年齢です。私の勤務先の所長は私と同期で、他の連中もみな偉くなっています。私も障害者にならなければ、今頃はどこかの事業所の所長か、関連企業の部長ぐらいにはなっていたでしょう。社宅には50歳代の人はもういないので、あの奥さんは少なくとも40歳代以下。社員は声でわかるけど奥さんの方は誰だかわかりません。むこうは私のことを遠目で知っていても、私には面識がありません。そういう関係であの言葉遣いはいかがなものでしょうか。私が障害者でなければ、あのような言葉遣いはしないのではないかと思うのです。
岡山と愛媛を行き来して8年、岡山では多くの人に声を掛けられ、助けてもらいました。しかし、岡山では子供扱いされることはあまりなかったように思います。出張などでいろいろなところへ行くと、その土地その土地でいろいろな反応がありますが、やはり福祉の意識の高い県は総じて障害者に優しいようです。やはりこれは教育なのでしょうね。
他人に暴言を吐くなと教育することは大事ですが、暴言でなくとも、また同じ言葉でも相手や立場を考えて発言しなければ、相手を傷つけてしまうということを、教えてやらなければなりません。
暴言を吐いた場合にはけんかになり痛い思いをすることで気がつきますが、問題は心の底に潜む差別意識から来る知らず知らずのうちに出てくる言葉です。我々はそういう言葉に敏感ですが、しゃべっている方はそういうことに鈍感で、しかも罪の意識はありませんから、そこが問題です。法律を作って目に見える差別がなくなったとしても、このような見えない差別は残るでしょうし、法律で厳しく取り上げると、こうした見えない差別がかえって助長されるかもしれません。そういったことを念頭に、法の運用には慎重を期してもらいたいものです。

以上が、〝こにたん〟からのメールです。

わたしも弱視故に子ども扱いされた経験が幾度となくありました。それを〝こにたん〟の書かれている「差別というのは、他者を低く見ることで、相対的に自分を高めようとする・・・」云々のように理論的に考察したことはありませんでしたが、単純に、子ども扱いされる=半人前扱いされうことに不快感を覚えてきました。健常者と呼ばれる人たちより、時間がかかったり、サポートが必要だったり、できないことがあったりすることは事実ですが、だからと言って半人前ではありません。
このことは洋の東西を問わないようで、もう7、8年前になりますが、ある視覚障害者のアメリカ人女性から聞いた話を思い出しました。「空港(アメリカ)でサポートをお願いし、フライトを待って「いたが天候の影響で飛行機の発着時間が乱れる様子だった。自分の乗る飛行機の新たなフライト時間が掲示されているはずだと思い係員に尋ねたら、『あなたは何も心配しなくていいのよ。ちゃんと連れてってあげるからね。』との返答だったそうです。フライト時間を尋ねたのに、あの返答はまさに子ども扱いだったと。
この大人を子ども扱いする対象は、障害者と高齢者によく見られると思います。誰にでも障害者になる可能性があり、誰しも生きている限り高齢者になります。その立場になってどう感じるか、一度でも想像してみる機会があればずいぶん違うでしょう ね。
そんな機会を与えるのも「教育」でしょうね。

 

 

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