平成26年7月23日

 

気がかりな判決

先月でしたか、ある裁判で、気がかりな内容を含む判決が下されました。その裁判は、次のようなものです。
数年前、ある夫婦が4人目の赤ちゃんを授かりました。しかし、その赤ちゃんはダウン症で、しかも複数の合併症を伴っており、生まれて3か月ほどで亡くなってしまいました。実は、この赤ちゃん、妊娠中の超音波診断でもダウン症が疑われていました。心配した夫婦は、担当医師に羊水検査を依頼しましたが、結果は異状なしでした。ところが、生まれてみると赤ちゃんはやはりダウン症でした。担当医師が結果のデータを見誤っていたのです。そのごこの夫婦は、医師を相手取って損害賠償を求める裁判を起こしました。その結果、裁判所は「結果を正確に告知していれば、中絶を選択するか、中絶しないことを選択した場合には、心の準備や養育環境の準備もできたはず。誤告知により機会を奪われた」として、1千万円を夫婦と亡くなった子どもに支払うよう医師に命じました。
これを、普通の人が何気なく読むと、「そうか、ミスを起こした医者が、気の毒な夫婦にお金を払うことになったのか。よかったなあ」と思われることでしょう。でも、よくよく考えてみれば、この判決は大きな問題をはらんでいます。今回のコラムは、そのことについて少し突っ込んで考えてみたいと思います。
まず、最初にはっきりさせておかなければならないのは、羊水検査などの出生前診断でダウン症などの染色体異常や遺伝子異常がみつかったとしても、単にそれだけを理由に妊娠中絶することはできないということです。それどころか、そんなことをすれば、刑法の堕胎罪に問われ、何年かの刑務所域となります。これについては、知っている人は多いでしょうが、「ヘー、そうだったの」と思う人も少なくないと思います。なぜ少なからぬ人がこれを知らない(あるいは知っていても知らないふりをしている?)のかは、後で考えるとして、このことをふまえ、先の判決を見直すと、「結果を正確に告知していれば、中絶を選択するか、中絶しないことを選択した場合には、心の準備や養育環境の準備もできたはず」との文面が気になります。この後半部分は良しとして、前半部分では、出生前診断でダウン症が見つかった場合、中絶を選択できると言っています。でも、繰り返しになりますが法律にはそんなことは書いていないのです。中絶に関する法律としては「母体保護法」がありますが、同法には人工妊娠中絶を行うことができる場合として「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」および「暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」の2つが規定されており、ダウン症はこれらに該当しません。ですから、こにたんにはこの判決は、どうにも行き過ぎているように思えるのです。恐らくはこの裁判が上級審へ行けば、判決の文面や賠償金の金額は見直されるだろうと思いますが、どうやらこの裁判は1審で終わりそうです。大きな問題をはらむ裁判だけに、もう少ししっかりした判決を出してほしかったと感じます。また、この判決の影響で、障害を持つ胎児の中絶が増えないかと気がかりです。もっとも、先の判決文は新聞に載ったものであり、こにたんは判決文そのものを見たわけではないので、実際の判決文では、「母体保護法」からそれない文面になっているのかもしれません。ネットを探しても今のところ判決文の詳細は見つからないので、このコラムでは新聞記事の情報をもとに議論を進めたいと思います。
さて、裁判所という法の番人が、なぜ法律破りともとれる判決を出したのかです。先にも述べたとおり、ダウン症だけを理由に中絶をすることはできませんが、実際には「母体保護法」の「経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」を「障害のある子を育てるには経済的に大変であり、その結果母親の健康を著しく害するおそれがある」と拡大解釈し、障害のある胎児の多くが中絶されているという現実があります。また、このような拡大解釈に後ろめたさがあるのでしょうか、出生前診断で胎児に障害があった際には中絶できること(これを「胎児条項」といいます)を「母体保護法」に明記させようとする動きがずいぶん以前からあります。しかし、これは障害者団体などの反対もあり、実現していません。こにたんは障害者の一人として、経済条項を障害とからめて拡大解釈することには反対ですし胎児条項についても反対です。それぞれの夫婦がどのような判断をするかはともかく、こうした議論がある中で、経済条項を無条件で拡大解釈する、あるいは胎児条項を先取りするような判決を裁判所が下すのはいかがなものでしょうか。裁判所は、法律的にも倫理的にも問題のある経済条項の拡大解釈をたしなめ、原告の経済状態を厳密に審査して判断すべきではなかったかと思います。
ところで、この経済条項は、障害を持たない胎児にも数多く適用され、結果的に年間20万件以上の中絶が行われているそうです。しかも、これでも少なくなったほうで、かつては100万件以上の中絶が公然と行われていたとか。今や生まれてくる赤ちゃんが年間100万人強の時代です。この数字からしても、かつての中絶の多さはどうしたことでしょう。命を軽んじているとしか言いようがありません。このように、胎児の命をやすやすと終わらせている現実を見せられると(一つ一つの事例を見ると、そう簡単ではないかもしれませんが)、障害を持つ胎児などまっさきに排除されてしかるべしとの恐ろしい考え方が生まれてくることも容易に想像できます。
さて、障害を理由に中絶することはできないということは、これまで再三述べてきたとおりですが、このコラムを読んでおられる人の中には、「あれ、そうだったっけ」と思われている人も多いことでしょう。またそれじゃあ出生前診断って何のためにあるの? と思われる方も多いことでしょう。このあたりを、歴史を振り返りながら考えてみたいと思います。
我が国がまだ貧しく、また避妊が一般化していなかった戦前では、子どもは貴重な働き手である一方、子供が増えすぎて育てられなくなった場合や飢饉のとき、あるいは親の生活の安定などの理由で、捨子、子殺し、危険な堕胎などが横行していました。近世以前は、こうした行為は悪いことではあってもあたりまえのこととして一般社会に受け入れられていました。明治に入ると、キリスト教下の法制度が輸入され、あるいは富国強兵を目指す見地から、子殺しは殺人となり、堕胎罪もあらたに導入されました。しかし、維新政府による諸政策の改革で貧民が増えたこともあり、子殺しや堕胎が減ることはありませんでした。また、仮に子殺しが発覚しても、摂関による不慮の死と見分けがつかないことも多く、その罪も今よりずいぶんと軽かったようです。
1948年、「優生保護法」が成立し、中絶が合法化されました。この法律は、名前から容易に推測できるように優生学的な色彩の濃い法律で、1940年に成立した「国民優生法」に端を発しています。この法律では、遺伝性の疾患やハンセン病の患者などに強制断種を行うことができるとされ、後には知的障害者にまで断種の範囲が広がりました。その結果、一時は年間1万件を超える断種手術が行われたようです。しかしながら、ジェノサイトや人種差別に容易につながる優生学への非難や人権意識の高まり、「青い芝の会」の活動などの結果、1997年に現在の「母体保護法」が成立し、優生学的条項が削除されて現在に至っています。この改正で、親に遺伝性の病気がありそれが子供に遺伝する恐れがある場合中絶できるとする条項が削除されましたが、これと胎児条項が似ている(本質的には異なる)ので多くの人が混乱しているのでしょう。何度も書きますが、胎児に障害があれば中絶できるとお思いの方がおられれば、それは誤解です。なお、1949年の改正で同法に経済条項が挿入されましたが、これにより中絶件数が劇的に増えたとされています。
今日では、子殺しは当然ながら殺人であり、多くの人は相手が子どもだからと言って罪が軽くなるとは思っていないでしょう。これは、社会が子供の人権を認め、子どもは大切に育てていくべきとの考えが社会に浸透した結果だろうと思います。同じく、親に障害があるからといってその胎児を選別することに問題があることに社会が気づき、現在の母体保護法が成立したものと思います。こにたんはこうした意識をもう少し進め、胎児殺しもよくないことだと社会の人に思って欲しいのです。現在、多くの人の意識下には、「障害のある子は産みたくないよな」、そのような素朴な思いが流れており、子殺しはだめだけど胎児殺しはいいんじゃないかと思っている人が少なからずおられるのでしょう。その結果が胎児条項への動きとなり、今回の判決となったものと思います。
しかし、超音波診断装置の性能が飛躍的に向上し、おなかの中の赤ちゃんの鮮明な映像を見られた方は多いと思います。あれを見られた方にお伺いします。本当に胎児を殺せますか? こにたんはそこそこ見えていた時代に、NHKの番組で胎児の超音波映像を見て、これでは安易に中絶はできないよなと思いました。テレビの中の胎児は、小さく愛くるしい手足を動かし、指をしゃぶり、羊水を飲み、おしっこをし、母親が喜べば一緒に体をくねらせて喜んでいたのです。最近では、中絶手術を断るお医者さんが増えていると聞きます。これは超音波診断装置で多くの胎児の成長を日々見てこられ、その命を守ってこられた医師としての矜持が、中絶手術を相容れないものとみなしはじめた結果だと思います。
こにたんも障害者の一人として、障害を取り巻く現実が厳しいことは皮膚感覚としてよく知っています。ですから、出生前診断の結果として中絶を選ぶ夫婦がいることを非難することはできません。しかし、だからといって、胎児条項を設け障害を持った胎児殺しを制度化することを認めることはできません。障害イコール不幸ではありません。障害が不幸であるかどうかは、障害を持つ本人が決めることです。多くのお母さんが、障害を持つ子どもを天使のようにかわいがって育てておられます。ある種のダウン症や無脳症など、生まれてもすぐに死んでしまう病気もありますが、しかしそれでも、いや、だからこそ、お母さんからへその緒を通じてもらった栄養で生きている間ぐらいは、生かしてあげてほしいものだと感じます。生きるという選択を胎児から奪わないでください。胎児を生かすか殺すか、そんな恐ろしい議論をするよりも、障害者を取り巻く状況を少しでも改善し、障害のある子が生まれても、あるいは誰が障害となっても、その人が安心して暮らせる世の中を作ることの方が大切なのではないでしょうか。それは、「誰でもが障害者になりうる」という事実に気が付く、ほんのわずかな想像力をみんなが働かせてくれれば不可能ではないと思います。

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