平成26年3月2日

奇跡の脳

先日の愛媛弱問研の定例会では、会員のお一人から、お母様が脳梗塞で倒れられたとのお話がありました。聞けば、かなりのご高齢とのこと。年老いた両親を田舎に残すこにたんにとっても、他人ごとではありません。会員さんのお母様の少しでも早いご回復を祈念しております。
ところで、脳梗塞と聞いて、昨年読んだ『奇跡の脳』という本を思い出しました。この本は、脳卒中で倒れた米国の若手の脳科学者が、病気を克服して回復に至る体験を、専門家の目をとおして描いたものです。会員さんの参考になるかどうかわかりませんが、内容を簡単にご紹介いたします。
この本の著者ジル・ボルト・テイラーは、米国インディアナ州に生まれました。兄が統合失調症だったことから、ジルは若い頃から人間の脳に惹かれるようになり、脳科学者を目指してインディアナ大学に入学しました。やがてジルはハーバード医学校の研究員となり、35歳の時には全米精神疾患同盟の理事に抜擢されるなど、脳科学者としての道を順調に歩んでいました。そのジルを、脳梗塞が襲ったのです。ジルが37歳の時でした。
1996年12月10日の朝、目が覚めて間もなく、ジルは左目の奥に刺すような激しい痛みを覚えました。かき氷を食べたときにキーンとくる、あの感じだったといいます。しばらくして何かから切り離されていくような感覚がジルの体の中に拡がっていきました。体の動きがぎこちなくなり、心と体の結びつきが徐々に弱くなっていく、そんな感じでした。
ジルはシャワーを浴びようとバスルームに向かいます。歩行はぎくしゃくし、立っているのもやっとでした。シャワーの蛇口をひねると、水音が耳をつんざく騒音のように聞こえました。ジルの体は、聴覚のコントロールをも失い始めたのです
「何が起きてるの?」
ジルは自問します。しかし、その答えを求めて集中しようとすればするほど、どんどん考えが逃げて行きます。そして代わりに、ジルは込み上げる平和の感覚に満たされていきました。
ジルはこのとき、先天性の脳動静脈奇形により左脳の血管が裂け、左脳にある言語や計算、分析、知覚の制御、時間の認識、自己と他者を区別する能力などを失いつつあったのです。そして左脳の指令から解放されたジルは、右脳の赴くままとなりました。それは「穏やかで、守られている感じで、祝福されて、幸せで、そして全知であるかのような感覚」だったといいます。まさに仏教でいう「涅槃」の境地でした。
ふと我に返ったジルは考えます。
「わたしのからだに何が起きているの? 脳のどこが悪いの?」
「わたし、なにをしようとしてるの? 服、出かけるふく。しごとにいくから、きがえるのよ」
やっとの思いで着替えの終わったジルはふたたび考えます。
「そう、仕事にいく。しごとをしにいくの。しごとばへのいきかた、おぼえてる? 運転できる?」
このとき、ジルの右腕が急に力を失いました。それはまるで腕がギロチンで切断されたような感じでした。そしてジルは気付いたのです。
「ああ、なんてこと、のうそっちゅうになっちゃったんだわ! のうそっちゅうがおきてる!」
そして次の瞬間、ジルはひらめきます。
「ああ、なんてスゴイことなのー」
「そうよ、これまでなんにんのかがくしゃが、脳の機能とそれがうしなわれていくさまを、内がわから研究したことがあるっていうの?」
ジルは、鏡に映った自分に言い聞かせます。
「おぼえていてね、あなたが体験していることをぜんぶ、どうか、おぼえていてね!」
「ところで、なにをするんだっけ? 助けをよぶの。きもちをしゅうちゅうしなきゃ。たすけをよばないと」
しかし、ジルの脳はもはや正常な思考や判断力、集中力を失っていました。
「わたしがしているのは、どんなこと? なにをしてるの? たすけをよぶ。そう、たすけをよぼうとしてるんだってば!」
しかし、救急車を呼ぶための緊急ダイアル(米国では911)を思い出せません。近所の人に助けを求めることすら思いつきません。このときジルがとった行動は、机に座り、電話を前にして、プッシュボタンをじっと見つめることだけでした。
「わたしはなにをしているの? 助けをよぼう。たすけをよぼう。助けをよぼうとしているの」
ジルは何度も何度も自分にそう言い聞かせ、脳が正常な思考を取り戻す小さな波が訪れるのをじっと待ちました。やがてずきずきと痛む脳に、ある番号がよぎりました。それはジルの母親の電話番号でした。命の危機にさらされて最初に思い出した電話番号が、母親のものだったとは、母と子の絆の強さをあらためて考えさせられます。しかしジルの母親が住む町は、2500kmも離れています。
「だめだめ、ママにでんわして、わたし、のうそっちゅうになっちゃったなんていえない-ママはパニックになるだけよ! なんとかけいかくをたてなくちゃ」
意識が明瞭になる次の瞬間、職場に電話したら、同僚が助けてくれるかもしれないとの考えが浮かびました。
「つとめさきのばんごうは? どこではたらいていたっけ? のうバンク! わたしは、のうバンクではたらいてた。じゃあ、のうバンクのでんわばんこうは? わたし、なにしてるの? 助けをよぼうとしてるのよ。しょくばに電話しようとしてるの。そう、しょくばのでんわはなんばん?」
数字を覚えるのが苦手だったジルは、電話番号をプッシュボタンを押す形としてパターンで覚えていました。これが、左脳の機能を失い右脳だけとなったジルの命を救うのに役立ちました。ジルはやっと思い出した職場の電話番号を、左手で書きとめました。そしてそこに電話をかけようとしますが、ジルにとってもはや数字はただの形でしかなく、数字の意味はわかりません。ジルはメモした数字の形とプッシュボタンの数字の形を見比べながら、やっとの思いで職場に電話をすることができました。電話口に出た同僚にジルは伝えます。
「もしもしジルです、たすけて」
ジルはそう言ったつもりでしたが、ジルの口から出たのは、ただのうめき声でしかありませんでした。幸いなことに、電話口に出た同僚は、それがジルの声だということがわかり、様子がただ事でないことも理解しました。その同僚の働きで、ジルは一命を取り留めることができたのです。こうしてジルは病院に運ばれ、治療を受けます。やがて手術も成功し、そこからジルのリハビリが始まりました。
ジルのリハビリの過程は大変興味深いのですが、ここから先を書き始めると長くなってしまうので、この本の巻末に附録として添えられている「病状評価のための10の質問」と「最も必要だった40のこと」を以下に引用しておきます。

附録A 病状評価のための10の質問
1.見たり聞いたりできているか、誰かに目と耳をチェックしてもらいましたか?
2.色が判別できますか?
3.三次元を知覚できますか?
4.時間についての何らかの感覚がありますか?
5.からだの全ての部分を、自分のものだと確認できますか?
6.背景の雑音から、声を判別できますか?
7.食べ物を手に取ることができますか? 手で容器を開けられますか? 自分で食べる力と器用さがありますか?
8.快適ですか? 充分に暖かいですか? 喉が渇いていますか? 痛いですか?
9.感覚的な刺激(光や音)に対して敏感すぎていませんか? もし「敏感すぎる」なら、眠れるように耳栓をもってきて、そして、目を開けていられるようにサングラスをかけて。
10.順序立てて考えられますか? 靴下と靴が何であるかわかりますか? 靴の前に、靴下をはくという作業が理解できますか?

附録B 最も必要だった40のこと
1.わたしはバカなのではありません。傷を負っているのです。どうか、わたしを軽んじないで。
2.そばに来てゆっくり話し、はっきり発音して。
3.言葉は繰り返して。わたしは何も知らないと思って、最初から繰り返し、繰り返し、話してください。
4.あることを何十回も、初めと同じ調子で教えてくれるよう、忍耐強くなって。
5.心を開いて、わたしを受け入れ、あなたのエネルギーを抑えて。どうか急がないで。
6.あなたの身振りや顔の表情がわたしに伝わっていることを知っていて。
7.視線を合わせて。わたしはここにいます-わたしを見に来て。元気づけて。
8.声を大きくしないで。わたしは耳が悪いのではなく、傷を負っているのです。
9.適度にわたしに触れて、気持ちを伝えて。
10.睡眠の治癒力に気づいて。
11.わたしのエネルギーを守って。ラジオのトーク番組、テレビ、神経質な訪問者はいけません-訪問は短く(五分以内に)して。
12.わたしに何か新しいことを学ぶエネルギーがあるときは、脳を刺激して。ただ、ほんの少しですぐに疲れてしまうことを憶えていて。
13.幼児用の教育玩具と本を使って教えて。
14.運動感覚を通して、この世界を紹介して。あらゆるものを感じさせて(わたしは再び幼児になったのです)。
15.見よう見まねのやり方で教えてください。
16.わたしが挑戦していることを信じてください-ただ、あなたの技術レベルやスケジュール通りにいかないだけです。
17.いくつもの選択肢のある質問をしてください。二者択一(Yes/No)式の質問は避けて。
18.特定の答えのある質問をして。答えを捜す時間を与えて。
19.どれくらい速く考えられるかで、わたしの認知能力を査定しないで。
20.赤ちゃんを扱うように優しく扱って。
21.わたしに直接話して。わたしのことについて他の人と話さないで。
22.励ましてほしい。たとえ二〇年かかろうとも、完全に回復するのだという期待を持たせて。
23.脳は常に学び続けることができると、固く信じてください。
24.全ての行動を、より小さい行動ステップに分けてください。
25.課題が上手くいかないのは何が障害になっているのか、見つけてください。
26.次のレベルやステップが何なのかを明らかにして。そうすると、何に向かって努力しているかがわたしにもわかります。
27.次のレベルに移る前に、今のレベルを十分に達成している必要があることを憶えていてください。
28.小さな成功を全て讃えてください。それがわたしを勇気づけてくれます。
29.どうか、わたしの文章を途中で補足しないで。あるいは、わたしが見つけられない言葉を埋めないでください。わたしには脳を働かせる必要があるのです。
30.もし古いファイルを見つけられなかったら、必ず新しいファイルを作るのを忘れないで。
31.実際の行動以上にわたしが理解していることを、わかってもらいたいのです。できないことを嘆くより、できることに焦点を合わせましょう。
32.わたしに以前の生活ぶりを教えてください。
33.前と同じように演奏できないからと言って、もう音楽を楽しんだり、楽器を演奏したりしたくないなんて考えないでください。
34.一部の機能を失ったかわりに、わたしが他の能力を得たことを、忘れないで。
35.家族、友人たち、優しい支援者たちと親しい関係を保てるようにしてください。カードや写真を貼り合わせたコラージュを作って見せてください。それらに見出しをつければ、わたしはゆっくり見ることができます。
36.大勢に助けを求めましょう。「癒しチーム」を作るように頼みましょう。みんなに伝言しましょう。そうすれば、みんなはわたしに愛を伝えてくれます。わたしの病状の最新情報を伝え続けて。そして、わたしを助けてくれるような特別なことを頼んでみて。わたしがらくに飲み込んでいるところや、からだを揺り動かして、上半身を起き上がらせるところを見せてあげて。
37.現在のわたしをそのまま愛して。以前のようなわたしだと思わないで。今では、前と異なる脳を持っているのです。
38.守ってください。でも、進歩を途中で阻まないで。
39.どのように話したり歩いたり、どんな身ぶりを見せたかを思い出させるために、何かをやっているわたしの古いビデオテープを見せて。
40.薬物療法が疲れを感じさせ、それに加えてありのままの自分をどう感じるかを知る能力をぼやけさせていることも、忘れないで。

これらは、ジルが脳卒中になった直後の症状と、母親とともに取り組んだ8年に及ぶリハビリ過程で得た教訓です。ジルのリハビリの成果を時間とともに追っておくと、
・病状が安定して以降、少しずつ言葉が出始めた。
・1週間後、室内をゆっくりと歩けるようになった。
・数週間後、幼児向けジグソーパズルにより、表裏、パズルの端、色や形の概念がわかるようになった。
・文字は単なる紙の上の染みに見えた。数週間後、パソコンで短い文章をタイプできるようになったが、このときはまだできあがった文章を読むことはできなかった。
・皿を洗ったりする家事は比較的早い段階でできたが、洗い終わった皿を食器棚にきれいにしまうのには1年かかった。
・2か月後、一人で飛行機に乗り友人宅へ遊びに行った。ただし、このときは飛行機の座席まで母親が付き添い、到着地で友人が待ち受けるという形だった。
・3か月後、車の運転の練習を始めた。このときはまだ文字が読めないので、看板を見過ごしてしまう。
・5か月後、20分の講演を行った。ただし、これはまだ内容を理解しての講演ではなく、話す内容を丸暗記してしゃべるだけのものだった。
・6か月後、出身地の学校の同窓会に出席した。これは昔の記憶を呼び覚ますのに役立った。
・8か月後、フルタイムの仕事に復帰するが、複雑な仕事はこなせない。
・1年後、生まれ故郷のインディアナに戻り、脳卒中の朝のことを文章にし始める。
・二年後、インディアナ州テール・オートのローズ・ハルマン工科大学に採用される。
・3年後、トランプゲームのソリティアができるようになる。
・4年後、滑らかなリズムで歩けるようになる。またこの頃、電話で話しながらパスタをゆでるといった簡単な並行作業ができるようになる。
・4年から5年後、足し算から割り算までの四則演算ができるようになる。
・6年後、階段を2段飛ばしで登れるようになる。
・7年後、ストーリー性のある夢を見るようになる。それまでの夢は断片的で脈絡のないものだった。
・8年後、流体のように感じられていた体の感覚が、個体の感じに戻った。
というものでした。これらの経過を見ると、脳卒中のリハビリとは、かつての能力を取り戻すというよりも、再び幼児期からの再教育を行う過程のように思えます。なお、これらはジルが左脳の言語中枢をつかさどる部分に障害を負ったことで生じる症状であり、そのリハビリにおける教訓、リハビリの経過であり、障害の部位が異なれば症状やアプローチの仕方も異なってくることは言うまでもありません。最後に、この本で最も興味深かった内容を以下に記しておきます。
左脳に障害を負い、右脳が優勢となったジルは、そのときの印象を「涅槃」の境地と表現していることは、上述の通りです。それは自分の体が流体となり、体と宇宙とがつながったような、平和で穏やかな感覚だったといいます。あるいは愛情、自費、充実、楽天、調和、共感、親密、友情、社交的、平等、好奇心、美、聖なる心、直感、自然、創造的などに代表される感覚でした。ジルはこうした感覚を「右脳マインド」と呼んでいます。
リハビリが進み、過去の記憶が少しずつ呼び覚まされていくにつれて、左脳からくる言語、論理思考、計算、記号化、分類、組織化、記述、分析、批判、判断、理論化、合理化、計画、管理、抽象化、並列作業、こういった言葉で表されるような感覚がよみがえっていきました。左脳の中でも最も顕著な能力は、「物語を作る能力」であるとジルは言います。しかも、左脳には知らないことも埋め合わせて、ストーリーを想像する能力があります。そしてややもすると、その物語が脳の中で繰り返され、やがて最悪の自体ばかりを考えるようになっていきます。このため、社会は子供たちに「心の庭を注意深く手入れする」必要があることをちゃんと教え、広告や政治が語る情報を無防備に受け入れてはいけないとジルは結論付けています。
ジルは「自分や他人に対して意地悪になったり、絶え間なく不安になったり、あるいは、口汚くののしってしまうような左脳の一部」の機能をつとめて呼び覚まさないようにしたといいます。ジルは、脳卒中から回復する過程で、「頑固で傲慢で皮肉屋で、嫉妬深い性格が、傷ついた左脳の自我の中枢に存在すること」を知りました。そして、そうした人格がよみがえってしまうと、新しく発見した右脳マインドの純粋さを台無しにしてしまうと考えました。
しかし、人間には感覚系から入ってくる刺激に対し、「どう反応するかを選ぶ能力」があるといいます。大脳辺縁系というところに、「感情をつかさどる」部分があり、そこから自動的にある種の化学物質が放出され、それによって怒りなどのネガティブな感情が引き起こされます。しかし、その化学物質は90秒程度で消えてしまいます。もし90秒を超えても怒りの感情が残っているならば、それはその人がその回路が機能するよう選択した結果だといいます。そうではなく、化学物質からの反応を神経回路につながず、化学物質が消失するまでの90秒をやり過ごすことで、怒りの記憶を蓄積しないで済みます。人は相手の怒りを反映して論争(左の脳)を始めるか、あるいは同情的な気持ち(右の脳)で対応するかのどちらを選ぶこともできるのです。ジルは、人間のこの素晴らしい機能を活用しました。そうして、右脳と左脳のバランスのとれた人格を自ら選択していったのです。脳卒中の前と後で、ジルの外見は変わりません。しかし、人格の面では、ジルは別人となったともいえるのです。
こうしてジルは脳卒中を克服しました。それには8年かかりました。そしてその過程で、脳の「可塑性」の高さを証明したのです。あらためて、人間の能力の素晴らしさを感じずにはいられません。脳科学者自身が脳卒中になり、専門的な見地から回復への過程を記述した本書は、同様の病気に悩む患者さんに貴重な示唆と大きな勇気を与えてくれるものと思います。

 

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