平成25年10月12日

虫の声

 

長かった夏も終わり、秋たけなわとなりました。窓を開けるとさわやかな秋風が金木犀の甘い香りを運んできます。コオロギに鈴虫にキリギリス。虫の声も涼やかです。遠くでは気の早い連中が、祭りの太鼓をたたいています。月は出ているでしょうか。こんな日は明かりを消して、日本酒をちびりちびりやりながら、ほろ酔い気分で物思いにふけるのもいいものです。
先日、角田忠信という研究者の書いた『日本人の脳』という本を読みました。1978年に初版が出版された古い本です。この本によれば、日本人の脳の聴覚に関わる部分は、外国人に比べて大変異質だとか。どう異質かと言えば、例えば外国人は虫の声を右脳で聞いているのに対し、日本人は左脳で聞いているそうです。これだけなら、それがどうかしたかと言われそうですが、あにはからんやこのことが日本人の感性や文化、社会の成り立ちにまで大きな影響を与えているというから見過ごせません。今回のコラムは、この本の内容のご紹介です。
さて、まずは角田さんが脳の研究に入った経緯から始めます。角田さんはもとは耳鼻科のお医者さんでした。角田さんが医者になった戦後しばらくの時期、わが国では脳卒中の発生率が高く、多くの人がその後遺症に苦しんでいました。特に言語や計算、論理思考を司る左脳がやられた場合、知的職業の継続は絶望的でした。一方米国ではこの時期、戦争によって難聴になった人のリハビリテーションの研究が進み、言語聴覚士などの専門職制度も立ち上がり始めました。しかし、脳卒中で言葉を失った人の治療成績は、あまり芳しいものではありませんでした。こうした中、耳鼻科の医者であった角田さんは、耳そのものは正常でも脳をやられて言葉が出なくなり、前途を悲観する多くの患者を前に、左脳にあるとされる言語中枢の働きを、何とか右脳に移せないかと考えました。しかし、病気になった人の脳の研究を始めようにも、当時は健康な人の脳の働きや仕組みすら十分にはわかっていませんでした。そのため角田さんは、まずは健康な人が脳のどの辺りで言語や音を認識しているのかを研究することから始めることにしました。
しかし当時は今のような脳を輪切りにして見る装置などはなく、まずはその測定装置の研究から始めなければなりません。気の遠くなるような研究です。角田さんが最初に取り組んだのは、音の種類ごとに、それが左脳で処理されているか右脳で処理されているかを正確に知ることでした。当時の海外の研究では、言語は左脳で、言語以外の音は右脳で処理されていることがわかっていました。さらに詳細な研究では、言語の中でも子音は左脳で処理されているが、母音については左右どちらの脳で処理されているかはっきりしないというものでした。また一般に、右側の感覚器の信号は左脳で、左側の感覚器の信号は右脳で処理されていることもわかっていました。角田さんは次のような仕組みの装置を開発し、音の種類とそれが左右いずれの脳で処理されているかを明らかにしていきました。
その装置の原理は、次のようなものです。すなわち、人間が言葉をしゃべる際には、話の内容が間違ってないかどうかを確認しながら、すなわち自分が発した言葉を自分の耳でモニタリングしながら話しているものです。このとき、声をマイクでひろって増幅し、しかも0。2秒程度の遅延をかけてスピーカーから流してやると、このモニタリング機能が妨害され、うまくしゃべれなくなるということがわかっています。同じようにドラムの奏者が、演奏内容に遅延を与えた音を聞かされると、プロの演奏家でもリズムが狂ってくるそうです。この現象を利用して、次のような実験を行います。すなわち、ある一定のリズム(例えば、「タッ・ウン・タッ・タッ・ウン・タッ・タッ・ウン」など)を被験者に覚えてもらいます。そして、スイッチを押すとヘッドホンの片方の耳から短い音(50ミリ秒から75ミリ秒)がプッと流れる装置を装着し、先ほど覚えたリズムをスイッチをたたいて再現してもらいます。十分にリズミカルにスイッチが押せるようになったら、ヘッドホンのもう一方の側に、0。2秒遅延させた音を最初は小さな音で流します。この遅延音、すなわち妨害音の音量を徐々に上げていくと、やがてその音に邪魔されて、被験者は正常なリズムが刻めなくなりますので、そのときの妨害音の音量を記録しておきます。次に、正常な音と遅延音(妨害音)を流す耳を左右交換して同じ実験をします。このとき、例えば右耳に正常音を流し左耳に40デシベルの妨害音を流したときにリズムが狂ったとし、今度左耳に正常音を、右耳に60デシベルの妨害音を流した時にリズムが狂ったとすれば、より小さな音に鋭敏に反応した左耳、すなわちこの音に対しては右脳が処理をつかさどっていると解釈します。そして、その音源に様々な種類の音を使うことで、音の種類とその音が左右どちらの脳で処理されているかの関係を見ていきます。また、この装置のみそは、50ミリ秒から75ミリ秒と極めて短い時間の音を使うことで、被験者には何の音だかわからないようになっていることです。また、被験者には音の種類を教えないのは当然ですし、試験の目的すら伝えないようにしたとのことです。このため、被験者は音の種類に余談を持つことなく、聞いた音に反射的に左右の脳を切り替えていく様子が観察できるのです。
さて、装置の説明が長くなってしまいましたが、この装置で日本人92名を対象にまずは人の声の母音と1000ヘルツの純音を使って実験しました。すると、役72パーセントの人は左脳で母音を右脳で純音を処理しており、約8パーセントの人は右脳で母音を左脳で純音を処理していました。また約19パーセントの人は左右で優劣がなく、約2パーセントの人はいずれか一方の脳に処理の中枢が偏在していました。なお、左右が逆転している約8パーセントの人の存在は、利き腕に左利きがあるように、音の処理にも左利きがあることを示しています。角田さんはそのあと音源を変えていろいろと実験したところ、人の声の子音、しかも数倍に加速した子音を含め人の声はいずれも左脳で処理され、周波数を変えた純音、ホワイトノイズ、周波数変調された音や振幅変調された音はいずれも右脳で処理されていることがわかりました。なお、以後便宜的に左脳(左利きの脳を有する人は右脳)を言語脳、右脳(左利きの脳を有する人は左脳)のことを非言語脳と称します。
次に角田さんは外国人(フランス人6名、米国人7名、オーストラリア人3名、イギリス人1名、スウェーデン人2名、イタリア人2名、スペイン人1名、ベネズエラ人1名、オーストリア人1名、バングラデシュ人1名)に対して同様の実験を行いました。すると興味深いことにこれら外国人はいずれも母音を言語脳ではなく非言語脳で処理していました。韓国人や中国人に対して同様の実験を行っても、やはり彼らは母音を非言語脳で処理していました。正確に言うと、外国人が母音を非言語脳で処理するのは、単純に母音だけを聞かせた場合で、文章を黙読するなどの言語活動をこのテストと並行して行わせると、外国人でも母音の認知が言語脳に傾くとのことです。続いてこの母音を言語脳で処理するという日本人に特有の現象が遺伝的なものなのか、あるいは生育環境によるものなのかを知るために、米国や南米に住む日系二世三世を対象に同様の実験を行いました。するとこれら二世三世は誕生以来日本語で育てられた1名を除き、いずれも母音を非言語脳で処理していました。次に日本で生まれ日本に住む在日韓国人および在日北朝鮮人を対象に実験したところ、これらの人達はいずれも母音を言語脳で処理していました。以上の結果から、母音を言語脳で処理するという日本人に特有の現象は、日本語で育つことにより生じたものであることが明らかになりました。なお、その後の調査で、母音を言語脳で処理しているのは、日本のほかにはポリネシアなど南方の島嶼部の原住民などにわずかに見られるのみであることがわかりました。
ところで、この母音を言語脳で処理するという特徴的な現象が日本人になぜ生じたのかですが、これは日本語では母音が多用されていることが原因していると考えられます。日本語には、あ(亜)、あい(愛、藍)、あう(会う)、あお(青)、い(胃)、う(鵜)、え(絵、柄)、お(尾)など母音だけで意味を成す言葉が多く、あたま、いき、うむ、えもの、おとこなど、母音がなければ意味をなさない言葉も数多く存在します。これに対し、外国語の多くは子音だけでも意味が通じる、あるいは母音がなくても文脈から意味が類推できる言葉がほとんどのようです。さらにヘブライ語に至っては、書き言葉にはまったく母音が含まれていません。そのため、外国人にとって母音は言語脳で処理する必要の少ないいわば雑音のような存在だということが言えます。さて、ここまでのところで角田さんがこの研究を終えていたら、あまり面白みのない、ただ知識を一つ加えただけの評価に終わっていたことでしょう。角田さんが偉いのは、じゃあ別の音はどうなのかと次々に音の種類を増やしていったことです。
ある日の夜、角田さんは数か月後に迫った学会のために論文を書こうと窓際の机に座って考えをめぐらしていました。ところが、その夜は外から入ってくる虫の声が思考を邪魔し、どうにも考えがまとまりません。角田さんはとうとうその日は論文の執筆を諦め、しかたがないので先ほど思考を邪魔していたコオロギの声を録音し、実験してみることにしました。するとどうでしょう。以外にもコオロギの声を日本人は言語脳で処理していたのです。同じ実験を外国人でやってみると、彼らはコオロギの声を非言語脳で扱っていました。これまた、外国人とは異なる日本人特有の現象でした。そしてこの結果から、コオロギの声が人の声の母音に似た性質があることが示唆されました。以前の実験で、まったくの雑音であるホワイトノイズや自然界にはない純音は日本人、外国人ともに非言語脳で処理されていることがわかっていますが、母音とコオロギの声に共通の特徴でなおかつホワイトノイズや純音とは異なる特徴を日本人は認識し、これを言語脳で処理しているようでした。なお、母音によく似た特徴とは、舌の形や喉、口、鼻の空洞の形から生じるホルマントと呼ばれる高周波成分が音の中に含まれていることだそうです。
角田さんはさらに実験を進めます。今度は鈴虫、きりぎりす、蝉、蛙、猫、犬、牛、雀、小鳥の合唱、鶏、ライオンなどの虫や動物の声、ハミング、乳児の泣き声、笑い声、いびき、嘆声など人の感情音、オーケストラによるA音の合奏、梵鐘、教会の鐘、汽笛、ヘリコプター音などの機械音を試してみました。すると、日本人ではセミやキリギリスについてははっきりしなかったものの、それ以外の虫や動物の鳴き声、人の感情音は言語脳で処理され、機械音は非言語脳で処理されていました。これに対し、外国人はこれらの音をすべて日言語脳で扱っていたのです。角田さんはこうした結果から、「虫の音の優位性が日本人と西欧人とで違うことが見つかった途端に、私はいままで日本人論でいわれてきた様々な特徴の原点がここにあるなと直観的に捉えられたような気がした。日本人が秋の虫の音に季節感や安らぎ、またもののあわれを感じるということは日本人に特徴的な音の処理機構に根ざすのではなかろうか?」と述べています。加えて、外国人が子音を他の音と明瞭に区分して認識していること、すなわち言語による思考過程から虫の声や感情音などの情緒を排除していることは、「西欧哲学で認識過程をロゴス的(理性的‐言語・計算)とパトス的(感性的)認知とに分ける考え方と合致する。」と分析しています。これに対し日本人の言語理解の特質は、「日本人及び日本文化にみられる自然性、情緒性、論理のあいまいさ、また人間関係においてしばしば義理人情が論理に優先することなどの特徴と合致する。」としています。さらに角田さんは、結果として「西欧語パターンでは感性を含めて自然全般を対象とした科学的態度が生まれようが、日本語パターンからは人間や自然を対象とした学問は育ち難く、ものを扱う科学としての物理学・工学により大きな関心が向けられる傾向が生じるのではなかろうか? 明治以来の日本の急速な近代化や戦後の物理・工学における輝かしい貢献に比べて、人間を対象とした科学が育ち難い背景にはこのような日本人の精神構造が大きく影響しているように思える。」と結んでいます。角田さんは、以上のほかにも和楽器と西洋楽器の音を用い、日本人は和楽器の音を言語脳で処理し、西洋楽器の音を非言語脳で処理しているが、外国人はいずれの音も非言語脳で処理していることなど、数多くの発見をしました。しかし、長くなりますのでこれ以上は省略します。
以上、角田忠信の『日本人の脳』についてご紹介してきました。繰り返しになりますが、日本人は母音を多用する日本語を母国語としていることで、母音と音の特徴がよく似た虫の声、動物の鳴き声、人の感情音、和楽器の音などを言語を認識し思考する脳で処理していることがわかりました。これに対し外国人は、言語脳による処理は子音が中心で、日本人が言語脳で処理している虫の声を初めとする多くの音を非言語脳で処理していました。思考は言語を通じて行うものであり、外国人は純粋に人の言葉のみで思考し、それ以外の音は思考の客体として冷静にドライに扱っているのでしょう。これに対し日本人の言語脳では、虫の声や人の感情音など、より多くの音が言語に近い存在として認識され、思考過程に密接に関わり、しかもそれが思考の純粋な客体ではなく、言葉を発するものとして主体に寄り添うような形で思考の中に入ってきているのです。このため日本人の場合、どうしても思考が情緒的になり、合理性よりも義理・人情に傾きがちになるのでしょう。また、日本人は虫や動物を擬人化し心を通わせるとともに、それらを育む自然を人に対立する存在ではなく、人と共にある身近な存在として認識し理解しているのでしょう。さらに食物などを通じて人間に恵をもたらし、時として人間に禍をもたらす自然の中に、「何か偉大なもの」を感じ、日本人はそれを神としたのだと思います。そして、そうしたもろもろの自然観、宗教観が、日本語に由来する言語認識の仕組みと密接につながっているのです。
ところで、今年封切られた映画「風立ちぬ」では、ゼロ戦の音を人の声で作っているとか。宮崎駿が何を意図して人の声でゼロ戦の音を作ったのかはわかりませんが、飛行機をこよなく愛した堀越二郎にとって、自ら生み出したゼロ戦の音はわが子の言葉のようなものだったのかもしれません。こにたんの会社でも大きな機会を多数おもりしていますが、永年現場にいる人には機会の声が聞こえるといいます。彼らにとっても永年手をかけて守ってきた機械は、てしををかけて育てた子供のような存在なのでしょう。こういう技術者を被験者にして角田さんに試験してもらったら、彼らは機械音をも言語脳で処理しているかもしれませんね。日本の高い技術力を支えているのは心の通った機会を生み出す堀越二郎のような技術者であり、日本の製造業を支えているのは機会の声が聞き取れるような無名の技術者達です。そしてそういう技術者を育てたのも、日本語だったのだろうと思います。そのように考えてくると、あらためて日本に生まれた幸せを感じますね。
明治維新より1世紀半の間、わが国は西洋文明をキャッチアップの対象とし、西洋流の科学や技術、そして西洋流の合理性を正しいものとしてあがめてきました。しかし、ふと気付いてみると、それらがもたらしたものは戦争であり、略取であり、銀行システムや資本主義の行き詰まりであり、社会主義の崩壊であり、原子力を初めとする大規模システムのもろさであり、地球環境の悪化であり、慢性病の蔓延であり、貧富の差や飢餓人口の増大でした。これらは人間の論理思考に限界があることの証明であり、西洋流の思考法に問題があることの表れだと思います。これに反しそれほど目立たないがそこそこうまくいく、しかも長く安定した文明を築いていける日本流の思考法のほうが彼らのそれより優れているのではないでしょうか。日本人は西洋から入ってきたものをうのみにせず、日本流に料理し、日本の魂を与えたのち、価値あるものとして世界に輸出してきました。しかも外国にさほど迷惑をかけず、それをしてきたのです。英国BBCの調査では、世界に良い影響を与えている国として、日本が毎年のように首位を占めています。これはとりもなおさず日本人のものの考え方や日本人が生み出したものが、世界に認められている証拠ではないでしょうか。日本人はもっと自信を持ってよいと思います。しかも、日本人の特質は日本語を母国語としているところからきており、日本語が変化しない限り変わりません。これは私たちに大きな安心感を与えてくれます。本当に日本人でよかった。
先の大戦中のことですが、ある盲学校では敵機のエンジン音を収録したレコードを盲人達に聞かせ、彼らを防空監視員として養成していたと言います。そして実際に何人かの盲人が本土の守りについていたとか。いつ敵機からの爆撃があるともしれない中、防空監視員の盲人の耳には敵機の声が聞こえたでしょうか。秋の夜長、虫の声を肴にそんなことに思いを巡らすこにたんでした。

 

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