平成25年6月18日

優先席

こにたんは8年ほど前に居を岡山に移し、それ以来単身赴任を続けています。
金曜日の夜岡山に帰り月曜日の朝愛媛の職場に戻るという生活です。目が悪くなり困ったことの一つに「探す」という行為がありますが、この生活を始めた頃は、今よりは少し見えていたので、電車の空席を探すのにそれほどの苦労はありませんでした。
しかし進行性の目の病は、徐々にこにたんから視力を奪っていきました。
こにたんは目以外は比較的健康で、足腰にも自信があります。このため、車内が混雑していて立っている人がいれば、空席がないことは明らかなので、”安心して”立っていられます。しかし微妙なのはそこそこ混んでいるけど立っている人がいない場合です。そんなときは、ゆっくりと空席を探します。このとき、車輌の最後まで行って空席が見つからなければ、こにたんの心理は微妙です。おそらくは、1つや2つの空席を見逃していることでしょう。こにたんの白杖を見、隣に空席があったとしても、必ずしも声をかけてくれるとは限りません。眠っている人も多いでしょう。あの人、空席を見つけられないんだと思われるのはくやしいし、まして「空いている席はありませんか?」と声を張り上げる勇気はありません。もし空席があるにもかかわらず車内に一人立っている。しかも白杖がどういうものなのかわからない(ときどきそういう人がいます)。そんな人からは自分は変な人と思われるんじゃないか。かといって、折り返して再び空席を探すのもかっこ悪い。こうして次の駅まで悶々と過ごすのですが、次の駅が近づいてくると、席を立つ人が現れてきます。こにたんはその頃を見計らって車輌の中央付近に待機し、立つ人を見つけてすばやくその人の空いた席に座るのです。
しかし、数年前からは空席を探すことがさらに困難になりました。そんなとき頼りになるのが、優先席です。こにたんがいつも乗っている特急には、4号車の岡山よりの端に車椅子の人も使える一人席の優先席が設けられています。おそらく他の車輌にも優先席はあるのでしょうけど、この席が最も優先席らしく目立つので、この座席が空いていれば、いつもそこに座るようにしています。車椅子が横付けできるのはそこしかないので、車椅子の人が後から乗ってくれば座席を譲らなければなりませんが、こにたんがここに座るようになってこのかた、車椅子の人が乗ってきたことはありません。(これまで数回、既に車椅子の人がこの席を占めていたことはありますが。)
ここ最近は不況のためか車内は混んでおらず、一人がけで目立つ優先席ですから、いつもこの席が空いているのかと思いきやさにあらず、約半分の頻度でこの席はふさがっています。そのときには他の席を探さなければなりませんが、見えない目を凝らして座席を見ていると「何か用ですか?」と言われたり、空いてそうに思って白杖で探ってみるとそこに足があったり、座ろうとしたら隣の人の荷物があったりと、見えないものにとって空席探しはいつも冷や汗ものです。たいていはそんなドタバタを見かねた人が、席を探してくれるのですが、目指す優先席がふさがっているとほんと疲れます。
そんな貴重な優先席ですが、目の悪いこにたんにはそこに先客があってもそれがどのような人かはわかりません。こにたんに白杖で足をつっつかれて、「すいません。どうぞ。」と言って席を譲ってくれる人がいます。約4割はそんな人です。また、白杖で探ってみると、車椅子を留めるべきところに大きなスーツケースが横たわっています。そして、岡山に着くと、そのスーツケースをガラガラと元気良く引っ張っていく姿を目にします。、そんな人も1割はいます。そして残りの5割の人は、こにたんの白杖に反応しない人です。これらの人は障害者、高齢者、妊婦さんなど、この席に座る資格のある人と、ちょっとふとどきな健常者ということになるのでしょう。ということで、こにたんの印象では、約半分の頻度で、貴重な優先席が座る資格のない人でふさがっています。しかも、繰り返しになりますが、最近車内は混んでおらず、立っている人がいないにもかかわらずです。
優先席は「優先」であって「専用」ではないので、高齢者や障害のある人などが乗ってくればそのときに席を譲ればよいとの考え方もあるようですが、これは内部障害者など外見ではわからない人もいるので問題です。優先席そのものに空きがあるうちはいいですが、空きがなくなった際には資格のない人は遠慮すべきでしょう。また妊婦さんは、つわりがひどくて譲って欲しい時期には譲ってもらえず、妊娠が安定した頃になってやっと譲ってもらえるなんて話もあります。都会では妊婦さんを示すワッペンなどもあるようですが、気付かない人も多いとか。また、義足の人で座ったままではそれとわからない若い人が、優先席に座っていると、対面の老人から怪訝な目で見られて困ったという話もあります。資格のある人同士が「譲って欲しいなあ」・・・「私はこう見えても資格があるのよ」と無言で対面している場合もあることでしょう。目の悪い者には、そこに座っている人がどういう人かすらわかりません。ですから、他が空いているなら、資格のない人は優先席には座って欲しくないものです。
あるとき、こんなことがありました。いつものように優先席に人がいないかどうかを白杖で探ろうとすると、そこにはあるはずの座席前の空間がありません。しかもそこは、何やら背の高いものでふさがれています。しかたがないので別の席を探そうとすると、そこらあたりに座っていたらしき人が、「すいません」と言って2列目の座席らしき場所に案内してくれました。こにたんは礼を言って、その案内されたと思った座席に白杖を預けようとしました。すると空席のはずの座席から、「これ持ってればいいですか?」と女性のあわてた声がし、白杖をつかむ人がいたのです。こにたんは、危うく女性のひざに座るところでした。実は3人連れのグループが一人がけの優先席をくるりと反転させて、そこを占拠していたのです。そして、後ろ向きとなった優先席に座っていた人が、私に席を譲ろうとしてくれていたのでした。こにたんはそんなことに気付かず、場所的にそこは2列目と解釈して座ろうとしたのです。しかしながら、優先席を都合よくグループで活用しようとは、見上げた根性の人達です。そういうことは止めてもらいたいものです。席を譲られたからといって、3人グループの二人とのお見合い状態では落ち着かないので、座席の方向を元に戻してもらったのは言うまでもありません。
この優先席、かつてはシルバーシートと呼ばれていましたよね。こにたんは昔、あれは老人が座る席なのでシルバーシートというのだと思っていたら、そうではなかったようです。ネットでその歴史を調べてみると、初めてシルバーシートが登場したのは国電の中央線で、1973(昭和48)年9月15日(敬老の日)のことだったそうです。しかし、そのルーツは、戦後すぐの時期にまで遡ります。戦後の混乱期、乗車率が300%を超えるような過酷な環境から女性と子供を守ろうと、1947(昭和22)年に中央線および京浜東北線で「婦人・子供専用車」が生まれました。その後輸送力は徐々に増強され、同専用車の意味合いも薄れていきました。最後は中央線の朝のラッシュ時だけの限定的な運用となり、1973(昭和48)年8月末には姿を消すことになります。昭和48年といえば、総務庁が老人対策室を設置し、「福祉元年」がうたわれた年でもあり、弱者救済の対象が婦人・子供から高齢者や障害者に拡大されつつありました。そのような機運のなか、シルバーシートが生まれたのです。このとき、優先席を識別しやすいように、座席の色を変えようとしましたが、準備期間が短かったため、やむなく余っていた新幹線用の布地を使うことにしました。これがシルバーグレー色だったので、シルバーシートという名前となったそうです。
こにたんはそんな歴史も知らず、その名前からシルバーシートは老人のためのものと思い込んでいましたから、若い頃にはそこに座ったことはありませんでした。目が悪くなった頃には既にそこが障害者などにも優先される席だとわかっていましたが、しばらくは優先席に座る必要を感じていなかったので、特に優先席を意識することはありませんでした。足腰には自信があると上に書きましたが、普通の席の近くに立っていて、座席を空けてくれる人があっても、「足は悪くありませんから」とかわいらしくないことを言って断っていたぐらいです。でもこれは家内に「人の親切を無にするものではないよ」とたしなめられました。家内にそう言われてからは、それもそうかと思い、ありがたく受けるようにしていますが、相手が年配者の場合には気の毒な感じもします。それに譲ってくれるのは普通は1席ですが、体の弱い家内を立たせ、丈夫なこにたんだけが座っているのは、あまり気持ちのいいものではありません。
上にも書いたように、空いた席があるにもかかわらず、資格のない人が優先席に座ることは「ふとどき」な感じがするのがこにたんの正直な気持ちですが、ネットを検索するとこの優先席には一言言いたいという人も多いようです。
例えばあるサイトの書き込みに、ある女性が「5歳になる子供を抱いて立っていたら子供が眠ってしまった。しばらくするとだんだんと立っていることがつらくなってきた。見ると目の前の優先席には妊婦さんとその夫らしき男性、そして老人が座っていた。その女性は妊婦さんの夫らしき男性に席を譲ってくれませんかと声をかけた。一応その男性は立ってくれたものの、男性からはものすごい形相でにらまれた。自分がしたことは悪いことだったのだろうか。」という内容のものがありました。これに対し、妊婦さんは優先席に座る資格があるけど、夫の男性にまではない。したがって、男性は当然に立つべきであるし、老人や体の不自由な人を見かけたら率先して席を譲るべきだといった普通の意見もあれば、男性が堂々とそういう席に座っていることはよくないが、子供さんの5歳という年齢が乳幼児に該当するかどうかには疑問がある。自分なら5歳の子供を立たせておくといった厳しい意見もありました。
また別のサイトでは、「その日は朝から具合が悪かったが、休日出勤しなければならなくなり、乗った電車はがらがらだったので何も考えずに優先席の隅に座って文庫本を読んで気を紛らわしていた。そうしているうちに段々車内は混みはじめて座席は埋まり、目の前に60代くらいのご夫婦が立った。そしたらその奥さんらしき人が、イライラした風に優先席はお年寄りのものよとか、若者は立つべき、無視しちゃって感じ悪い、非常識おかしいなどなど、夫に話しかけてるふうに見えて、明らかに自分にむけて言ってきた。よそに移りたいけれどご夫婦が目の前に立たれてそうしてやっているからむしろ動けず、譲る体力はないのでとりあえず無視したが、15分くらい散々けなされたあげく、降り際にも優先席はお年寄りのもの!と叫ばれた。このあと腹痛が収まらず、病院にいったら盲腸で最悪な一日だった。結局何にそんなに腹を立てられたのか謎だった。座れなくて舌打ちする人は見たことがあるが、ここまで怒った人は初めてだった。」というものもありました。これに対しては同情的な意見が多かったものの、自分なら最初から優先席には座らないという意見もありました。
そうかと思えば、老齢の女性に席を譲ろうと立ち上がったら、「失礼ね! 私はまだまだ元気よ! 馬鹿にしないで頂戴。」と逆に怒られたとか、優先席に座っていた高校生の顔を65歳の女性が傘で突いて怪我をさせたとかいったものまであり、驚いてしまいます。このようにネット上には優先席をめぐるトラブルが数限りなく取り上げられており、それに対する意見も百花繚乱の様相を呈しています。これをテーマに研究すれば、博論が書けそうなほどに問題は微妙で複雑です。根が単純なこにたんには、とてもそのような複雑な問題は処理しきれませんので、過去に優先席に近づかなかったことは正解でした。
この問題は思いやりの問題ですが、それだけでは解決できないようにも思えます。衣食足りて礼節を知るといいますが、衣食足りたわが国にあって優先席の議論がこれほどに活況を呈するということは、譲り合うには余裕や体力や健康やそれ以外のものも必要なのでしょう。自由主義的傾向が進む中、多くの人に余裕がなくなり、若者ですら疲れているのかもしれません。弱者は保護すべきだというコンセンサスが揺らいできているのかもしれません。思いやりには相手の大変さを想像する能力が必要ですが、豊かな世の中になり、そのような想像力すら失われたのかもしれません。家庭教育や道徳教育の問題でもありましょう。いずれにしても、数少ない優先席をめぐって繰り広げられる軋轢には、社会の様々な問題が投影されており、「生きにくい時代になったものだ」とわが国の将来に不安を感じるのはこにたんだけでしょうか。

 

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